戦後日本における劇場の変化

露天劇場は身近な娯楽

戦後の復興の中において、大衆は身近な娯楽を必要としていたのでしょう。

特に舞台芝居のような、電気や大掛かりな道具もなくてもできるような身近な芸能は、露天劇場は各地で歓迎されました。

それとともに地方劇団の新設や再編も活発となりました。

1947年当初は劇場の数に比べ劇団が少なかったため、劇場側における劇団の誘致は激しいものでした。

一方で50人を超える既存劇団はすでに過剰気味。

こうした状況をふまえ、新規の劇団が続々と立ち上がり、それを見た既存劇団の有名俳優たちの独り立ちなど再編や淘汰も進むことになったのです。

戦中戦後を生き抜いた日本劇場

1933年の開館から1981年に閉館するまでの約50年間、戦前と戦後の我が国を代表する劇場が、日本劇場です。

収容人数は4000人を誇り、映画や舞台での使用はもちろんのこと、デザイン・内装とも当時においては非常に斬新な造りとなっていました。

戦前は映画上映がメインであったものの、業績は思うように伸びず、母体企業がたびたび変わる状態でした。

戦後は舞台での演劇も行われるようになり、1960年代には日劇ダンシングチームの人気が最高潮となるなど、レビューの全盛期を迎えます。

また同年代は芸能人の歌謡ショーの場として最高の舞台とされ、あこがれの地ともされていました。

しかし、1970年代後半ころから大衆の興味が離れ衰退の道をたどります。

晩年は映画館としての役割に戻り、日本劇場自体も老朽化のため閉館となったのです。

多様化する劇場

近年では、映画上映には専用の映画館が、また最近では複数のスクリーン設備があるシネマコンプレックスがメインとなってきています。

映像や音声のデジタル化における技術向上も著しく、それを再現できる専用設備を備えた劇場こそがよりよい環境となり、本来の品質で楽しむことができます。

またミュージカルやオペラは専門設計される劇場もあり、劇場自体がそれぞれに特化した発展を見せています。

ただ、地方都市などではまだまだ多目的ホールというくくりも多く、契約体系も様々なため公演には支障が見られる部分もあります。

このため、主要都市部と地方都市の間では、劇場における設備や質のみならず公演における格差がより顕著にみられるといえるでしょう。


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